ALOHA! a-la-4-LIFE

おっとり系アラフォー女のアメリカでもなんとか生きてますBlog

その①アトピーの話とパティシエ時代の話

 二十歳。私のパティシエ人生は始まった。

 

 生まれは北陸石川県、自分というものに特に自信は無い、どちらかと言えば劣等感の塊みたいな性格だと思う。けれどあんまり落ち込むタイプでは無く、何かあっても後に引きずらないタイプで、それを長所と捉えていいのならそう言いたいが、自慢していうほどの事でも無いしね。何かに強く打ち込むような熱心な性格でもなければ、根性も無いし、成績も下から数えたほうが早く、これといって特技もない。気の利いたおもしろいこと1つも言えない。

不思議な行動も覚えている。足が早いわけでもないのに、運動会のリレー競走、クラスから足の早い選手を選抜する大事なホームルームにて、場違いにも立候補するという何気に目立ちたがり屋なのか、身の程知らずのだいぶとぼけた性格なところもあるらしい。

大人になった私が自分を説明するのなら、「まぁなんとなく生きている、ごく普通で、影の薄い、やる気はあるが実力は追いつかない、残念な奴」というのがしっくりときてしまう。我ながらあまりにも残念である。

 

 

 

 もともと小さな頃から酷いアトピー持ちだった私のために、母は色々苦労して体に良いとされる食事をと、気にかけてくれていた。ジャンクフードや添加物の多いものは避けて育った。小中学生の頃は一番酷く、漢方を取り入れたりと、母の努力の甲斐あって高校の時にはだいぶ改善されていたが、パティシエになるなら、何か体に良いもので作りたいなと思っていたのだ。

 

 それが私がヴィーガンのパティシエになるきっかけであった。高2、当時17歳。

 

ヴィーガンって何?という方がおられるかもしれませんが、すみませんがここでは省きます。できたらいつか追記します。)

 

 その当時にはまだヴィーガンという言葉は知らなかったし、ただ漠然と「体に優しい」というキーワードを抱えていただけである。

 

 高3になり、栄養学を学ぶため、地元で短大に通い、その後大阪の製菓専門学校へ行くことになった。卒業後、二十歳。大阪でそのまま就職が決まり、パティシエ人生は始まった。

一人暮らしのパティシエ生活はなかなかハードワークで、もともと怠けぐせのある私の生活は、悲惨なものだった。

睡眠時間は平均5時間。きちんと食事をしようとする気力が湧かない。栄養学を習っていたのに、実践することもなく、コンビニや外食が続いた。

 

 本当に情けない話だが、大阪で3年過ごしたある時期にいきなり私のアトピーは元に戻ってしまったのだ。

 

 そしてアトピー再発は私の心をいとも簡単にへし折った。

 

 私は新米パティシエにもかかわらず、そこでは重要なポジションにおいていただいていて、私なりに熱心に取り組んでいた。仕事

も楽しかった。

 ただ、本当に辛かった。アトピー再発は実際にはもっと前から症状は出ていた。

 

 腕に。

 

 強力な洗剤により荒れる肌、栄養不足による免疫低下、大量の粉や卵に手を突っ込み混ぜる時の肌の負担、それらが度重なり、ついに腕全体と最終的に顔にまで広がってきた。

小学生の頃と同じくらいの症状だ。

 

 もう、限界だった。

 

 

 もう、辞めたい。

 

 アトピー再発は精神的にも大きなダメージを与え、大阪での修行はわずか3年で幕を閉じた。

 

f:id:aloha_cookie:20200522171928j:plain

石川県金沢 兼六園 雪吊りの美しい写真