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おっとり系アラフォー女のアメリカでもなんとか生きてますBlog

その③アトピーの話とパティシエ時代の話


 前回の続き。

 

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2020年コロナによる自粛期間。自分自身をじっくり見直すいい時間でした。

 

 アトピーの話ばかりになってしまったが、大阪から離れ、金沢に戻ってきた。街のケーキ屋さんに勤め、またパティシエの修行を再開していた。そこで3年ほど勤めていたある日、急な腹痛に見舞われ、初診を受けた近所の内科のドクターから、大学病院への紹介状を渡された。そこは婦人科。診断結果は子宮内膜症だった。生まれて初めての婦人科。自分の体がどうなっているのか、怖くなった。手術するかという選択も告げられたけれど、幸いにも5日ほどの経過観察の入院で痛みは治まっていってくれて、手術は避けることができて、仕事に復帰ができた。だがだんだんと、体のこと、自分のアトピー体質のことを真剣に見つめ直し、職場で日々消費する大量の白砂糖、バター、生クリームに対しても疑問を抱き始めていった。

  体にいいものってなんだろう。なんでジャンクフードばかり食べていても健康な人と、ちゃんと野菜もしっかり食べてバランスの良い食事しているはずなのにアトピーが出たり体内に異変が起こったりする人がいるんだろう。私はそんなに体に悪いものを食べ過ぎていたっけ?いやいや、そんなことは無いはず。どちらかと言えば健康的な方だったと思う。なのにどうして?

 

 マクロビオティックヴィーガン、ということをしっかり意識し始めたのはこの頃だと思う。いろんな本を読んだり、ネットで調べたりした。白砂糖が体を冷やすと言われていることや、体が冷えることで体に及ぼす不調。輸入の薄力粉は農薬まみれで育っていること、農薬による生産者の健康被害残留農薬で障害を引き起こす人もいること、卵や乳製品が作られている過程、たくさんの動物が牛乳や卵やバターを生産するために狭い小屋で無理やり生活していたり、動物性の食材にアレルギーを持つ人がたくさんいること、海外で低賃金で働かされてできている材料など、今まで知らなかった食材の背景を少しづつ知ることになった。

 簡単にまとめてしまって、これでピンと来る人はいないと思うが、まぁ、知れば知るほど、あぁ、もう使うのは辞めよう、とだんだん思うようになっていった。

 

 

 

 私のヴィーガンパティシエになるきっかけは、自分自身の体質から食について考えるようになったこと。

 そして、アレルギーを持っている人も安心して食べられるケーキを作りたい。

 そして、その食材が同じ仲間である人間の、過酷な低賃金による犠牲のもとに販売されているものや、劣悪な環境で、例えば、無理やり卵を産ませるためだけに狭いケージでぎゅうぎゅう詰めになって生きている動物たちの犠牲から、さらにまた私の手にかかってケーキが作られる、この流れから自分だけでも抜け出したい、抜け出さなくちゃ、と思った。誰かを仲間にして集団で抜けることは違うと思った。なんとなく、これはそんな風に自分で思った人じゃないと、そんな行動しないんだろうなって思った。なに偏った考え方しちゃってるんだろう、って思われていると感じた。でも最初の頃は周りにそんなことしてる知り合いはいなかったし、孤独だったけど、もう既にマクロビも有名だったし、ヴィーガンも耳にするようになっていた。だから、私もやろうって思えた。

 

 

 そうして私はケーキ屋さんに努めるのを辞めた。

 

その②アトピーの話とパティシエ時代の話

 前回の話の続き。

 

 大阪での修行を半端な状態で終えた私は、また一からやり直さなければという思いと、根性のあるタイプでないが故、もうあんまりキツイ思いはしたくないなぁという感情を隠し持っていたと思う。

 アトピーに関しては、実家に戻りしばらくして改善された。アトピーというものは、ストレスなども大いに関係すると思っている。長年それと付き合っているが、今も完治したとは思っていない。見る人によっては全然そうは見えないだろうし、またある人によってはアトピーだとバレる時もある。もっと苦しんでいる人は世界に沢山いることも知っている。昔が史上最悪に酷かったから、その辛さは痛いほどわかる。食生活が乱れたり、過剰なストレスが溜まると、きっとまた再発するだろう。また私の場合、飲食店で主に使われる強力な洗剤も悪化の理由に挙げてもいいはずだ。

 

 強力洗剤に関しては一生怖い敵みたいなものだ。大阪でも辛い思いをしたが、その後どこへ行っても洗剤で悩まされ続けている。歳をとり、ようやくゴム手袋をすることを学んだ(学んだと言うより、吹っ切れたという感覚か。いいじゃん遅くても、こちら手が荒れて酷い目にあうんだ!遅いと思われたっていいや、と。もっと早くからそう思えていたらよかったのに、、、。しかし、若い駆け出しのパティシエには、ゴム手袋ほど邪魔なものはない。私は一刻も早く洗い物を済ませ、次の計量を終わらせ、必要な道具を集め、先輩の作るケーキの技術を学ばなければならなかった。洗い場に時間がかかってしまっていては、大事なところはそう簡単には見せてもらえないだろう。ほんの10数年前だが、まだそんな時代だ。その積み重ねで、ようやく教えてもらえるようになる。そうやって、せっせと自ら肌を傷めつけていたのだから、恐ろしい。

 

 どのように辛いのか、わからない人も居られるだろう。

 とにかく四六時中手が痒い。掻いても掻いても痒いし、掻くとさらに痒いけど、掻き続けなければ、落ち着かない。一生痒い。掻きすぎて皮膚はめくれ、赤く腫れ上がり、汁が出てくる。掻いて掻いて、皮膚を全部剥がそうとしているのか?というぐらいに、まさに気が狂ったように掻き続ける。どっと疲れ、息が切れるほど無心で掻き続けた先に、ようやく達成感のようなものが訪れて、落ち着く。ドラッグをやっている人もこれに似た感覚かもしれないと、これはただの想像だけど、思う。そんなこと、しちゃいけないってわかってる。掻くのを我慢しなければ、治るものも治らない。百も承知なのに、気がついたら掻きむしっている。その繰り返しなのだ。その衝動を抑えたくても、自分では抑えられない何かが体を支配しているような感覚。

もちろん夜も痒い。寝ながら掻いていることは知っていた。だって起きたら布団の上は体から出た皮やカスが飛び散っているからね。赤く炎症した顔から滲み出る汁が寝ている間に枕カバーについて乾き、カバーと頬がくっついて取れない時もある。それをそっと取る時のなんとも言えない虚しさ。

 簡単に言って、そういう感じ。伝わるだろうか?ちょっとやそっとの痒みとはわけが違う。

 ちなみに幼い頃のアトピー全盛期は、これが身体中に起こる。腕も、足も、顔も。顔が一番キツイ。お年頃の女子には特に。

 

 だいぶ時も過ぎ、ほとんどアトピーの症状がない今も、手だけはまだ弱いみたい。どこかの職場なり友人のお宅なりで洗い物を申し出る時でさえ、躊躇するほどトラウマがある。だって、すぐに肌荒れを引き起こすから。冗談ではなくて、合わない洗剤だと本当にたった一回でまた肌は炎症を起こし、恐怖のルーティーンはやってくる。ゴム手がなくては、生きていけない。もうあんなのは、こりごり。だから油断は禁物なのだ。

 だから職場では必ずゴム手袋をしている。自宅では、選ぶ洗剤が良いのか、長年食生活が乱れていないおかげか、ゴム手しないで家事をしても、普段の自宅での生活では症状も出ないし、外で変なものを使わない限り、クリームを塗りたくる量もかなり減った。しかし、「肌に優しい」や、「環境に優しい」洗剤を使っているレストランは少ない。多くの人にとっては、極力抑えたい、どうでも良い経費なのだから。

 

 なんで同じ洗剤を使っているのに、へっちゃらな人がいるの。ブリーチだって素手でいくクレイジーな人もいる。実は私の旦那がその代表みたいなものだ。とにかく肌が強い。妬んではいないけど、妬ましいほどにツルツルな手だ。アメリカの飲食店で働く中で出会ったメキシコ人やフィリピン人もその類。驚異的な強さ。ブリーチに対し素手で向かっていくなんて、ありえない。全く、狂ってるとしか言いようがない。

 

 

 

その①アトピーの話とパティシエ時代の話

 二十歳。私のパティシエ人生は始まった。

 

 生まれは北陸石川県、自分というものに特に自信は無い、どちらかと言えば劣等感の塊みたいな性格だと思う。けれどあんまり落ち込むタイプでは無く、何かあっても後に引きずらないタイプで、それを長所と捉えていいのならそう言いたいが、自慢していうほどの事でも無いしね。何かに強く打ち込むような熱心な性格でもなければ、根性も無いし、成績も下から数えたほうが早く、これといって特技もない。気の利いたおもしろいこと1つも言えない。

不思議な行動も覚えている。足が早いわけでもないのに、運動会のリレー競走、クラスから足の早い選手を選抜する大事なホームルームにて、場違いにも立候補するという何気に目立ちたがり屋なのか、身の程知らずのだいぶとぼけた性格なところもあるらしい。

大人になった私が自分を説明するのなら、「まぁなんとなく生きている、ごく普通で、影の薄い、やる気はあるが実力は追いつかない、残念な奴」というのがしっくりときてしまう。我ながらあまりにも残念である。

 

 

 

 もともと小さな頃から酷いアトピー持ちだった私のために、母は色々苦労して体に良いとされる食事をと、気にかけてくれていた。ジャンクフードや添加物の多いものは避けて育った。小中学生の頃は一番酷く、漢方を取り入れたりと、母の努力の甲斐あって高校の時にはだいぶ改善されていたが、パティシエになるなら、何か体に良いもので作りたいなと思っていたのだ。

 

 それが私がヴィーガンのパティシエになるきっかけであった。高2、当時17歳。

 

ヴィーガンって何?という方がおられるかもしれませんが、すみませんがここでは省きます。できたらいつか追記します。)

 

 その当時にはまだヴィーガンという言葉は知らなかったし、ただ漠然と「体に優しい」というキーワードを抱えていただけである。

 

 高3になり、栄養学を学ぶため、地元で短大に通い、その後大阪の製菓専門学校へ行くことになった。卒業後、二十歳。大阪でそのまま就職が決まり、パティシエ人生は始まった。

一人暮らしのパティシエ生活はなかなかハードワークで、もともと怠けぐせのある私の生活は、悲惨なものだった。

睡眠時間は平均5時間。きちんと食事をしようとする気力が湧かない。栄養学を習っていたのに、実践することもなく、コンビニや外食が続いた。

 

 本当に情けない話だが、大阪で3年過ごしたある時期にいきなり私のアトピーは元に戻ってしまったのだ。

 

 そしてアトピー再発は私の心をいとも簡単にへし折った。

 

 私は新米パティシエにもかかわらず、そこでは重要なポジションにおいていただいていて、私なりに熱心に取り組んでいた。仕事

も楽しかった。

 ただ、本当に辛かった。アトピー再発は実際にはもっと前から症状は出ていた。

 

 腕に。

 

 強力な洗剤により荒れる肌、栄養不足による免疫低下、大量の粉や卵に手を突っ込み混ぜる時の肌の負担、それらが度重なり、ついに腕全体と最終的に顔にまで広がってきた。

小学生の頃と同じくらいの症状だ。

 

 もう、限界だった。

 

 

 もう、辞めたい。

 

 アトピー再発は精神的にも大きなダメージを与え、大阪での修行はわずか3年で幕を閉じた。

 

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石川県金沢 兼六園 雪吊りの美しい写真

 

 

 

 

 

Nice to meet you!

はじめして!

ALOHA! COOKIE' LIFE へようこそ!

ブログ主のアラフォー女、cookieです。

アメリカに移住してきてかれこれ5年半経ちます。最初の5年はカリフォルニア・ロサンゼルスにて生活。それから現在はハワイに引っ越してきて、今また新しい生活が始まったばかりです。

 

アメリカに来たきっかけ、住み始めての色々な失敗談、成功経験など、いろんなネタがあるので、ずっとブログ始めたいなと思っていたのですが、性根がのんびり屋でなかなか始められていませんでした。

 

5年分の振り返り、珍プレー、好プレー、これから起こる色々な事、仕事のことなどを綴っていけたらいいなと思っています。また、私のドタバタな経験でも今後アメリカに来る方の手助けになったりしたらいいなと思って、やっと、しかもコロナという前代未聞の世界中で絶賛「おうち時間」真っ最中の今、ついに(のんびりと…)  スタートさせて頂きます!

 

地道に、わたしらしく綴っていこうと思います。

お勉強、お仕事の合間の休憩時間にでも遊びに来ていただけると嬉しいです!

 

はじめましては、軽く自己紹介でした。

つぎの投稿から少しずつ紹介していけたらと思います。

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これは初めてアメリカに降り立ち、迎えにきていただいた車の中から撮った初めてのLAの空。わたしの携帯に残る1番古いLAの空です!

 

はぁ、、、青いっ!!!

なんてすがすがしい気持ち!

その頃の思い出が蘇る〜♪